
嵯峨野の早咲き系桜巡り
2026年3月25日、嵯峨方面の早咲きの桜の名所を巡ってきました。まず訪れたのが車折神社、境内に多くの桜が植えられており、桜のリレーが楽しめる神社です。
最初に咲くのが河津桜、次いでエドヒガン系の枝垂れ桜である渓仙桜、少し遅れて写真のエドヒガン系と思われる立性の桜、さらに陽光桜とソメイヨシノと続きます。それほど広くはない境内ですが、赤い玉垣に囲まれた独特の風情があり、桜の季節は特に美しさを増す神社ですね。

渓仙桜の由来について
車折神社を代表する桜が渓仙桜。この桜は明治から昭和にかけて活躍した日本画家・富田渓仙が寄贈したものです。渓仙はこの神社の近くに住み、またここで宮司を務めていたこともある富岡鉄斎に師事していたのですが、鉄斎の死後その遺徳を偲び、自らの名を冠した桜を寄贈したのでした。
昭和の初期のこととされており、それから推測するとこの桜は樹齢100年程になりますね。
エドヒガン系であり、まだ100年は生き続けるでしょうから、相当な貫禄を持った木になることでしょう。その姿を見られるのは私のひ孫の世代くらいになるのかな。とりあえず、いつか孫にこの話を聞かせようかなどと思っています。

清少納言社の枝垂れ桜
車折神社は平安時代後期の学者、清原頼業の廟として建てられた法寿院という寺が清原家の菩提寺となり、その地に頼業を祀る社を建てたことに始まります。この神社に桜が多いのは、頼業が桜を好んでいたからと言われます。
清少納言は清原氏の一族ですが、神社が建てられる200年以上前に亡くなっており、当初は独立した社はありませんでした。しかし、戦後芸能神社が建てられるなど車折神社が整備されていく中で、清原氏の中でも特に知られた清少納言も神として祀ろうということになり、小さいながらも現在の祠が建てられています。その祠にも枝垂れ桜が植えられており、綺麗な花を咲かせていました。おそらくは、枕草子の「花の木は」の段に
「桜は...枝細きてさきたる」
という一節があり、彼女は枝垂れ桜(当時は糸桜)を好んだためではないかと推測されます。まあ、私の想像ですけどね、この花を見るときに枕草子の一節を思い浮かべるのも一興ではないでしょうか。

南口の陽光桜
神社の南の入り口には、濃い花色の桜が五分咲きになっていました。このときは何の桜かわからなかったのですが、帰ってから写真をよく見ると陽光桜であることがわかりました。この桜は平和を祈念して各地に寄贈されていますが、この神社にもあったのですね。天城吉野と寒緋桜を交配させて作出された桜で、その鮮やかな色は寒緋桜の血を引いている証しでしょう。

芸能神社の玉垣と渓仙桜
この神社は古くから知られていましたが、一躍全国区にしたのが芸能神社でしょう。この近くにたくさんあった(今でもありますが)映画会社の関係者が頼み込み、芸事の神として知られるアメノウズメ命を祭神として創建された神社です。以来、芸能人達がこぞって玉垣を奉納するようになり、有名人の名が見られる神社として知られるようになりました。有名、無名の芸能人だけでなく、会社として奉納するところもあり、好きな芸能人を特定するのはなかなか大変ですけどね。でも、それが楽しくて、流行の推し活の一つとしてここに来る人も多いようです。この写真の一角には、私でも知っている人が多いですね。なお、この玉垣は2年で交換されるそうです。
この赤い玉垣と白い渓仙桜の組み合わせは、とても絵になる構図ですね。
コンパクトながら見どころの多い車折神社。
桜の時期には、嵯峨巡りの最初の一歩としておすすめの場所です。
早朝拝観時の注意点 トイレについて
なお、桜時分にこの神社を訪れるのは、この後の天龍寺とセットにすることが多いのですが、天龍寺には一番に入らないとすぐにインバウンドの方たちで溢れてしまうので、拝観開始の8時30分に間に合うように調整する必要があります。なので必然的に早朝になるのですが、ときおり通勤する方が通るくらいで、とても静かで良いですね。ただ一点困るのがトイレで、9時からしか開かないのです。しかも嵐電嵐山駅のトイレも同様で、嵐電に乗る前に例えば地下鉄の太秦天神川駅などで用を足しておかないと、渡月橋を渡った先のトイレか、大堰川沿いのトイレまで行かないと一カ所も無いということになります。うっかりすると困ったことになりますよ。早朝拝観のちょっとした罠ですので、ご注意ください。